霊能者が修行する日本の霊山①恐山
恐山~夢に導かれて開かれた、さいはての冥府山
所在地 青森県むつ市
開山年 貞観4年(862年)
開山者 慈覚大師円仁
山を守護する御本尊と神様 地蔵菩薩
その名を知らぬ者はまずいないと言う有名な山ですが、一般に恐山に関してはふたつの誤解が存在しています。ひとつは山自体の名称について。正式には恐山という地名はなく、実際は宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称に過ぎません。地理的に見ると、この地は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山という八つの峰々から成り立っています。また恐山といえばイタコ、というくらい両者の関係は密接に結びついていますが、この地にイタコが在住しているわけでもありません。毎年の大祭と秋詣の時期に限って東北各地よりイタコたちが集まり、イタコマチと呼ばれるテントを張って、参詣客の求めに応じて死者の口寄せを行うのです。開山は平安時代。伝教大師(最澄)の弟子である円仁という僧が、唐に留学していたときに霊夢を見たところから、信仰の伝説史は始まります。円仁はそのお告げの中で「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵尊一体を刻しその地に仏道を広めよ」と言われ、帰国後、実際に探し歩いたところ、恐山にたどり着いたと伝えられています。
周辺は火山地帯であるために多数の硫気孔が点在し、そこから灼熱の蒸気が常に噴き出しています。その草さえ生えぬ荒涼たる風景を地獄に見立ててこれを百八の地獄風景とするいっぽう、美しいカルデラ湖である宇曽利湖とそれを取り巻く八峰を蓮華の座としたところから、地獄と極楽が併存する冥界への境として多くの人々の信仰を集めてきました。
本来の信仰の中心である伽藍は円仁によって創設された地蔵堂ですが、その後は羽黒系や熊野系の修験者によって支配され、さらに17世紀以降は曹洞宗円通寺の管掌するところとなっています。
なお、この恐山の地になじみの深いイタコ霊能者の一人・福智先生によれば、古くより篤い信仰を集めた地に相応しく人々の敬虔な想念の気が今もなお満ち溢れており、火山地帯特有の霊質の高い自然波動もあいまって圧倒されるばかりの霊気に包まれているとのことです。