霊能者が修行する日本の霊山④大山
所在地 鳥取県西伯郡大山町大山など
開山年 718年
開山者 金連上人
山を守護する御本尊と神様 十一面観世音菩薩・地蔵菩薩
大山とは一般的に主峰の剣ヶ峰~三鈷峰と外輪山の烏ヶ山、野田ヶ山、矢筈ヶ山、甲ヶ山、勝田ヶ山、船上山を総称しての名称ですが、岡山県側にある擬宝珠山や蒜山、皆ヶ山なども含めて表し、標高は、1,729mの火山です。鳥取県西部の旧国名・伯耆国の名称を冠して伯耆大山とも呼ばれることもあります。大山は昭和11年、日本で3番目の国立公園となり、その後昭和38年に蒜山地域、隠岐島、島根半島、三瓶山地域が追加指定され、現在の「大山隠岐国立公園」となりました。
修験道の道場として栄え、養老2年、金連上人が地蔵菩薩を祀ったのが開山と伝えられています。称徳天皇は、神仏習合の思想から地蔵菩薩を「大智明大権現」と勅宣され、貞観8年、慈覚大師が留錫し、堂舎を建立して台密の法を伝え、引声阿弥陀経の秘曲を口伝し、天台宗の末寺に加わることとなりました。承安元年、火災に遭い一山はすべて焦土になってしまい、本尊も焼失してしまいました。地方の長者は堂社を再建し、金銅の地蔵菩薩などを奉納しました。
室町期には多くの僧兵をかかえ比叡山、吉野山、高野山に劣らないほど隆盛を極め、元弘の役では船上山に名和長年が後醍醐天皇を奉ずると、大山寺衆徒であった長年の弟・信濃坊源盛は一山の僧兵を引きつれ兄長年を助けた史実も残っています。慶長年間、豪円僧正が大山寺座主となり徳川幕府に願い3000石の地領を得て、三塔に支院42坊を構えましたが、明治維新の神仏分離の政策から衰退し、昔のような盛観を見ることはできません。しかし、尚三堂宇に10ヶ寺の支院を有し、貴重な文化遺産も多く保存されています。本堂は天台宗の古刹で、昭和3年に一度焼失、昭和26年に再建されています。
4月~11月に開館される霊宝閣には、大山寺の貴重な宝物が収められており、建立以来の歴史を学び、白鳳期の観世音菩薩像鉄製厨子などの仏教美術を見ることができます。