本当に願いを叶えたいあなたへ ~霊能者がこっそり教える本格呪術呪術に関する質問
プロの霊能者や祈祷師が行っているご祈祷、お祓いについて教えて欲しい! ──そんなお客様からのリクエストにお応えして、古今の秘伝書に記載された本格呪術のやり方を、花染の霊能者の先生が伝授!気休めのおまじないをはるかに超えた本当に効く術を、その煩雑な作法なども含めて分かりやすく解説いたします。
最後に鑑定のお客様からよく訊ねられる、呪術に関する質問の代表的なものをいくつか挙げ、それに対する回答を書かせていただきます。一部には個人的見解も含まれますが、他の同業者(霊能者・霊媒・祈祷師・拝み屋など)に拠っては全く違う考え方を有しているかもしれません。祈祷や呪術に関する考察については、どうしても各々の術者の主観が入るので、こうしたことは往々にあります。その点、あらかじめご了承ください。
術者の資質や修行に関する疑問
Q「霊能力などの特別な才能の持ち主でなければ、呪術を使いこなすことはできないのでしょうか?」
洋の東西を問わず、一定の作法によって規定された伝統呪術というのは、人間に潜在している念のパワーを引き出すための高等テクニックであると考えてください。西洋の魔術や召喚術はもちろん、我が国の密教や神道、あるいは修験道や陰陽道に伝わる諸術、さらに中国神仙道やブードゥー教に至るまで、根本にある原理は皆同じということです。
従って念の力が強い術者ほど、その術の効果を能く引き出せるということになるわけですが別段、霊視や予知などの霊能力を保持していなくとも、生まれつき想念パワーのポテンシャルが高い人間というのは大勢存在しています。そうした意味では、(豊かな想像力と強固な意志力の持ち主であれば)どなたでも呪術を使いこなせる資質を秘めている、とも言えるわけです。
もちろん専門家を目指すのであれば、相応の修行や専門知識の修得は不可欠ですが、その訓練自体が想念と意志力の涵養を目的に編まれたものですので、もし初めからそれらの才能が備わっているならば、ズブの素人がいきなり高度な呪法を成功させるような事態もあり得るわけです。ただ使いこなすことはできないのでその分、副作用的な危険性が増大しますが…。
Q「ご祈祷を依頼するに当たって、町の拝み屋さんとイタコやユタなどとの違いを教えてください」
言葉上での定義や区別はともかく、実際にはそれらの職能名は混淆(こんこう)しています。「普通の人が見えない物事を探り出して、悩みを解決に導いてくれる人」という大きなくくりの中で、術者側も依頼者側も呼称自体にはあまりこだわらないところがあるためです。ですから拝み屋の看板を出している術者でも霊視や占いをする人がおられますし、逆にイタコ(霊媒)として活動している方でも祈祷や呪術が得意、というケースも見られます。
もし初めから祈祷や呪術に的を絞った依頼を考えているのなら、その辺の得手不得手は個別に当たって確認する他ないと思います。
陰陽道や修験道の霊符に関する疑問
Q「ネットからダウンロードした護符や霊符でも効果があるのでしょうか?」
これは微妙なところです。スピリチュアルブームということもあってか、霊符や陰陽道についての解説サイトはネット上でもたまに見受けられ、特定の符をフリーダウンロードできるようなサービスも存在しているようですが…。
もし仮に、実力のある祈祷者が強力な念を込めて作成した護符や霊符のコピーならば、物体としての符ではなくその図像自体がパワーを発している可能性があるので、何かしらのご利益があるかもしれません。しかし経験上、そうした本物はほとんどないというのがネット世界の実情で、やはり複製に呪術効果を求めるのは、少々虫が良すぎると思います。
これは神社やお寺で領布される御札やお守りにも言えることで、本当に目的のご利益を得たいのであれば印刷された量産品ではなく、そこの神職やお坊さんが自筆した原物の札をいただくべきです。
Q「本格的な霊符の作り方について教えてください」
陰陽道や修験道で用いられる霊符の作成については、細目に渡って厳格な作法が定められています。一応、下にその手順を書き出しておきますが、とくに符を書写する際に唱える呪文(拝礼の祝詞や奏上文など)が難解複雑であるため、ここではその一部を割愛しています。もし興味を持たれるようでしたら、ぜひ正確な詳細が記載された専門書を当たってみてください。
丑の刻参りの解説でも触れたように、霊符の作成手順やその際の作法をあえて煩雑・細分化することで、念の増幅と強化を促す効果を狙っていることが窺えます。ただ、果たして霊符の専門家たち(拝み屋や陰陽師、行者など)が、どこまでこれに忠実に従っているのかは疑問が残るところです。恐らく原則的には古典の作法をなぞりながらも、時間的な効率を図るため、各々で独自の工夫を加えているものと思われます。
ちなみに私の知り合いの同業者で、霊符術と得意とする修験行者の方は、依頼数がある程度集まった時点で山中のお堂に籠もりきりとなり、そこでまとめて作成しているようです。
霊符の作成法と使用法
① 道具と紙・木板の用意
上質な細筆と墨、できれば新品の無垢な硯(すずり)を準備する。符形を書き付けるのは手漉きの上質な和紙、または符板(ふばん)という薄い木の板を用いることもある。この符板の材質についても決まりがあり、一番良いのは白柳または香木、次に良いのは桃か梅、続いてヒノキ、杉、木蓮、ヌルデなどが挙げられる。
② 墨を擦るためのお水取り
原則として、墨を擦る水には神社の境内に湧き出す御神水(ごしんすい)を用いる。暦の八方位図を見て、吉方に当たる時刻を選び目的の神社へ出発。本殿に拝礼した後に水を汲ませていただく。また御神水だけではなく、以下のような特殊な水を使うという異伝もある。井戸水・雨水・神棚にお捧げした後の水・榊の葉についた露水・ヘチマの茎から流れ出す樹液など。これらはいずれも、吉日吉方位の日の出前に採取することが望ましいとされる。
③ 霊符を書く日取りと時刻の選定
霊符を書くのに適した吉日の日取りは、次の干支日に限定される。庚寅・壬子・壬寅・癸卯・丙午・丙辰・丁酉・戊子・戊辰・戊申・戊午また時刻は丑の刻から寅の刻過ぎ(午前2時から3時過ぎ)、日の出前の時間帯が最上。
④ 所願成就を期して精進潔斎(しょうじんけっさい)する
筆写を行う3日前から酒、肉類と五辛(刺激物)を断ち、野菜と穀類のみを食す。同時に身の穢れにつながる異性との交渉や葬儀への列席参列なども厳に慎む。さらに当日は冷水を浴びて斎戒沐浴し、清潔な白装束に着替えたのち筆写の儀に臨む。
⑤ 拝礼、霊符の書写、書き終えた後の奏上
香を焚いた清潔な室内に南面し、机を前に正座する。八種の供物(いずれも果物)を捧げて鎮宅霊符神(陰陽道の神格)に拝礼し、勧請文を奏した後に心を落ち着かせて書写を行う。一筆一筆を記す毎に、しばらく息を止めて念の気を注ぎ込む。作成を終えた霊符はいったん盆に載せて神棚にお祀りし、神道の祓詞(はらえことば)と祈願文、送神文を奏上し拝礼した後、しばらく安置して神気が定着するのを待つ。
⑥ 霊符が完成したら
完成した霊符は常に携帯、もしくは屋内の清浄な場所に貼りつけて朝夕に拝礼する。決してむき出しのまま持ち歩くようなことはせず、奉書紙などに包んで大切に所持する。
⑦ 祈願成就したら
無事に祈願が叶った後はお焚き上げをして、符に込められていた念を天へ帰す。
※霊符の作成方法にはここに挙げた代表例の他にも、いくつもの異伝・口伝が存在しています。さらに神道に重きをおいた作成法と中国道教的な色彩の濃い方法にも分かれているため、一見簡単そうに見えながらも、じつはかなり複雑で奥の深い修法です。
ですから心得のない方が見よう見まねで自作するよりは、多少の費用が掛かっても、最初からその道の専門家に依頼した方が無難かもしれません。
寺社で施されるお祓いの儀式についての疑問
Q「神社やお寺でのお祓いはどの程度の効果がありますか?」
お寺や神社でのお祓いは、個別の専門家に依頼するよりも費用が安く済むのが魅力です。しかし肝腎の効果となると、ひとえに神職や僧侶の力量次第、としか申し上げようがありません。格式の高い大きな神社やお寺であれば即、信用できるという単純な話でもなく、むしろそうした所では1日に何件、何十件ものお祓いを続けているはずですから、こんなことを書くと失礼かもしれませんが、ご祈祷を担当する人も勤務として機械的にこなしている可能性があるわけです。ですからもし確実な術の効果を求めるのであれば、寺社の規模や歴史を気にするのではなく、誰がそれをやってくれるのかを最重視するべきです。
またそうは言いながらも、由緒正しい聖地には他に代えがたい効用があるのも事実です。その土地が発するご神気や長年に渡って積み重なった正しい信仰の気配に触れることで、自然と身のケガレが祓われたりもします。
呪詛返しに関する疑問
Q「ある人に酷く恨まれ、呪いを掛けられているようなのですが、事を荒立てずに解決してもらうことはできますか。できれば呪詛返しのような強硬手段は採りたくないのですが…」
特定の人物から呪詛されていて、それを術によって無力化させる場合には、通常は呪詛返しという方法を採るしかありません。何らかの呪詛が功を奏し実質的な被害を蒙っているということは、すでに制御不能で強烈な念波が作動している状況を意味しています。仮にこの時点で呪詛者を説得し改心させることができたとしても、呪いのエネルギー自体は独り歩きしてしまっているため、後から消し去ることができないのです。
術の形式を問わず呪詛を行えば、発生した念は必ず生き霊の形を取り、目的が完遂されるまで自らの意志で動き続けます。そこで被害者側がお祓いなどを受けて遮断すると、行き場を失った生き霊は自らの発生源、つまり呪っている本人へ立ち返り、相応のダメージを与えることになるわけです。
浄霊能力に秀でた術者であれば正面からのお祓いという形は採らず、分離した生き霊意識だけを成仏させることができるかもしれません。しかし、そうなると今度は生き霊を飛ばしていた本体の活力が削がれ、結果としてやはり心身の不調や不幸が押し寄せます。こうしたエネルギーの消滅と欠落は呪詛が成就した場合でも同様に起きるので、長い目で見るといつか必ず耗弱していきます。
「人を呪わば穴2つ」のことわざ通り、いったん呪詛に手を染めた者は、その術の成否にかかわらず、遅かれ早かれ自らの墓穴を掘ることになるわけです。私たち正道の霊能者が呪詛行為を厳しく戒めるのは、主にこうした理由に拠るものです。